
両親が娘を虐待し続け、死に追いやった目黒虐待事件。到底許すことができない事件でした。
2019年9月17日、その犯人の一人である船戸優里に懲役8年の実刑判決が下りました。
さて、もう一人の犯人である船戸雄大の判決はいつ下るのか、この記事で調査しました。また、船戸雄大の生い立ちや経歴、職場での評判についてもまとめています。
目黒虐待事件の犯人・船戸雄大の判決はいつ?
今回の事件の犯人である、船戸優愛ちゃんの義父である船戸雄大。その裁判は2019年10月1日より始まります。そして、判決が下るのが10月15日15時です。
先に下された船戸優里に対しては、懲役8年の実刑判決。船戸優里は、船戸雄大からの心理的圧力の影響もあったとされており、それを鑑みると、懲役8年以上に思い判決が下されることになるでしょう。
船戸雄大は、保護責任者遺棄致死罪に加え、大麻取締法違反罪、傷害罪で罪状を出されています。かなりの重罰を被ることは間違いないでしょう。
しかし、どんな判決が下ろうとも、失った命は戻ってきません。服役とか反省とか、そういったことは全く関係なく、船戸雄大は絶対に許されない行為をした。それがゆるぎない事実です。
船戸雄大の生い立ちは?
よく「虐待は連鎖する」と言います。そのため、船戸雄大も自分が幼いころには虐待を受けてきたのではないかと噂されています。真相はどうなのでしょう。
調べてみましたが、過去にどのような生い立ちで船戸雄大が生きてきたのか、ということは詳しく分かっていません。分かる範囲で情報をまとめると、以下のようになります。
- 出身は岡山県瀬戸内市
- 学生時代はバスケ部に所属し、キャプテンも務めていた
気になるのは家庭環境かと思いますが、これについてはなかなか情報が見つからず・・・。しかし、結果として殺人犯が誕生したわけですから、良好な家庭環境とは言えなかったのではないでしょうか。
とっくに成人もしているので、両親に非を求めるのもお門違いのような気がしますが。
船戸雄大の経歴
前述のように、船戸雄大は岡山県瀬戸内市の出身です。小学校、中学校、高校については詳しい情報は分からないのですが、おそらく地元の学校で学んだと思われます。
そして、高校卒業後は「東日本の私立大学に通っていた」という説と「大学には通っていなかった」という説があります。若いころの仕事について、詳しい情報はありません。
2016年には香川県の食品会社に就職し、香川へ移住。おそらく転職したということでしょう。食品会社ですが、担当した業務はパソコンのシステム関連。ちなみに、この会社には正社員として雇用されています。
2016年当時、船戸雄大は30歳ですから、その年齢にして正社員になったということは、それなりにパソコンのシステムに関して知識やスキルがあったのでしょうか。
船戸雄大の職場での評判は?
到底許されることのない事件を犯した船戸雄大。かつて勤めていた職場では、同僚たちにどのように思われていたのでしょうか。
意外にも、船戸雄大は職場で明るい人気者だったと言います。
システム関係の仕事と言えば、何となく一人で黙々とやるイメージも強いですが、結構周囲との協調性を大切にしていたそうです。
頼みごとをされた時は、快く引き受けていたとの情報も。
職場では「良い人」という見られ方だったのかもしれません。しかし、そうやって積み上げてきたものも、今回の事件により一瞬で崩れ去りました。
まとめ
この記事では、目黒女児虐待事件の犯人である船戸雄大について調べ、以下のようにまとめました。
- 船戸雄大の公判は2019年10月1日より開始。判決は10月15日に下されます。
- 船戸雄大は岡山県瀬戸内市で生まれ、学生時代はバスケットボール部に所属していました。
- 船戸雄大は2016年に香川県の食品会社にパソコンのシステム担当として就職しました。
- 職場では意外にも、明るくて周囲からの人気者でした。
とにかく「許せない」これが全国民共通の声でしょう。なぜ幼い命が奪われなければならなかったのか、どれだけの時を経ても、納得できる日は訪れないでしょう。
どんな判決が下っても、優愛ちゃんは戻ってきません。しかし、最大限に重い判決が下り、そして船戸雄大が自らの行いを心から悔い、反省することを願うばかりです。
以上「目黒虐待|船戸雄大の判決はいつ?生い立ちや経歴に職場での評判は?」でした。