
テレビやワイドショーでは面白発言連発の上沼恵美子。
大阪のおばちゃん代表と言わんばかりの口調で、なるほどと思うこともズバッ!と言ってくれる上沼恵美子は非常に親近感湧きますよね。
現在は主に、ローカルタレントとして活動していますが、実は元漫才師だったことを知っていましたか?そこで今回は、
上沼恵美子の若い頃は漫才師だったって本当?
上沼恵美子の漫才師だった頃の実力は?画像はある?
上沼恵美子の若い頃の評価、評判は?
について詳しく調べましたので、ぜひご覧ください。
もくじ
上沼恵美子の若い頃は漫才師だったって本当?
上沼恵美子は姉と漫才コンビを組んでいたので、漫才師だったというのは本当です。
実は、元々上沼恵美子は歌手を目指していました。
ですが、上沼恵美子の姉の相方がなんと漫才デビュー目前で逃げてしまったのです。
そこで、上沼恵美子は姉と共に漫才コンビ「海原千里・万里」(うなばらせんり・まり)として活動しました。
上沼恵美子の学歴や家族は?
- 上沼恵美子の父は銀行員
- 上沼恵美子の祖母は浄瑠璃の師匠、太棹三味線の名手
上沼恵美子はお嬢様だった?と思われるようなご家族ですね。
学歴は帝国女子高等学校大和田校(現:大和田国際大和田高等学校)中退
となっています。
大和田国際大和田高等学校は私立高校、偏差値は58です。
中退とはいえ、学力が高いことが分かりますね。
上沼恵美子の漫才師だった頃の実力は?画像はある?

こちらが上沼恵美子の漫才コンビ時代の画像です。
この画像を見た瞬間「めっちゃ可愛い」と思いました。
今ももちろん綺麗ですが、昔もとっても可愛かったのですね。
1971年 | 漫才コンビとしてデビュー |
1971年 | 上方お笑い大賞銀賞(当時上沼恵美子は高校生) 「漫才界の白雪姫」と呼ばれるほどの人気ぶり |
1973年 | NHK漫才コンテスト優秀敢闘賞受賞 |
1975年 | レコード「大阪ラプソディー」を出し、40万枚の大ヒット |
上沼恵美子の漫才師としての実力です。
デビューして間もなく銀賞受賞や、4年でレコードを出せるというのはかなり実力が高いですね。
上沼恵美子の若い頃の評価や評判は?
上沼恵美子の若い頃は絶大なる人気でした。
ですが、1978年7月には評価や評判が一気に落ちてしまったのです。
1977年に、現夫との結婚、そして芸能界を一時引退しました。
ですが、その後わずか1年程度で復帰をしたのですが、その作品がNHK連続テレビ小説「鮎のうた」、花登筐作品でヒロイン役だったのです。
漫才師がヒロイン役?ということで、相当なバッシングを受け評価や評判が落ちてしまったのです。
あくまでもこの評価・評判とは「芸能界の中の」という意味です。
視聴者としては、喋って面白い・見た目は可愛いという上沼恵美子でしたので、当然評価や評判は良かったのです。
上沼恵美子が受けたいじめに近い行為・言葉
- 「この世界辞めたんちゃうんか?すっこんでろ」
- 後輩が「辞めてまえ、帰ってくんな。漫才はやらんけど、芝居はするんか?」
- 誰1人助けてくれない
ですが、救世主がいたのです。
その名は京唄子。
京唄子が来た時に「いや~、もう、えみちゃん!あんた、大阪の宝やで」と全員の前で言ったのです。
これで、上沼恵美子へのいじめのような行為・言葉はなくなりました。
それと同時に、芸能界でずっと頑張っていこうと思えたようです。
京唄子が当時、どれだけ存在感のある人だったのかが分かりますね。
今でも、上沼恵美子は京唄子を尊敬し、感謝の気持ちでいっぱいのようです。
こんなに明るく皆の前でズバッと言ってもらえたら嬉しいですよね。
いじめをやめろ!ではなく、あなたは宝という言葉を使った京唄子はまさにプロです。
まとめ
- 上沼恵美子は若い頃、姉と共に漫才コンビをしていた
- 上沼恵美子の若い頃の画像を見ると非常に可愛く、「漫才界の白雪姫」とも言われていた
- 上沼恵美子の漫才の実力は非常に高かった
- 上沼恵美子は一時引退後、すぐに女優として活動したため芸能界からの評価や評判は悪かった
- 京唄子が上沼恵美子を救い、上沼恵美子は芸能界で活動し続けていこうと思った
上沼恵美子は天性の才能があったのかもしれません。
それゆえ、女優の声もかかったのでしょう。
ですが、その才能に嫉妬をし、いじめのような言葉も言われたりしていました。
それでもたった1人の一言で今もなお芸能界で活躍し続けています。
その真っ直ぐな気持ちは非常に感銘を受けました。
上沼恵美子の若い頃を知った上で、今の上沼恵美子を見ると、更に強く胸に刺さる言葉も増えてきますね。
以上、上沼恵美子の若い頃【漫才の実力は?】評価に評判!画像に驚きでした。